ーもう、大切な人を失うわけにはいかないんだ…。

「Shit！」

　ヒューは小さく罵声を漏らし廃ビルの柱の陰へと逃げ込むと準備運動も無しにいきなり全力疾走を強いられた所為で激しく乱れた息を整える。

「これ以上巻き込まれたくなかったら詮索するなって言ってたくせに…詮索しなくてもしっかり巻き込まれてるじゃねえか！」

　柱へ一発八つ当たりの蹴りをかました後小さな声で苦々しく吐き捨てる。
　…いや、それは自分の考えがあまりに甘かったんだとヒューは直ぐに頭の内で訂正した。
　と同時に”これ以上巻き込まれたくなかったら詮索するなとは言ったが詮索しなければ巻き込まれない、とは言ってないぜ”と悪気も無しにのうのうと言うKKの顔が目に浮かび、大きく舌打ちをする。

「ああそうだよな。あの人の言う事を真に受けた俺が悪かっ…」

　突如、ヒューはぼやきを止め身体を緊張に強張らせた。
　廃ビルに響く乾いた靴音…。
　確実に此方にやってくる。

　額にじわりと滲んだ嫌な汗が頬を伝って首筋から鎖骨へと落ちていく。
　その僅かな時間さえ今のヒューには恐ろしく長く感じた。
　…相手は銃を持っている。
　普通に考えれば工具やネジしか持っていない自分が歯向かった所で勝てる筈もないだろう。
　ヒューは自らに突きつけられた絶望的な未来に背筋を凍らせた。

「そこに隠れているのはもう分かっている…さあ、おとなしく言うんだ。ヤツは何処に居る？」
「…知らねえ！知ってたって言うか！」

　建物の影に隠れたままヒューは怒鳴り返した。

　ヤツというのは恐らくKKの事だろう…実際の所、ヒューは彼が何処に住んでいるのか裏で何をしているのか正確には全く知らない。
　あの時詮索しなかったのだから知るはずもない。
　そもそも自分に聞こうなんていうのがとんだ見当違いなのだ。
　まあ、もし知っていたとして目前に迫っている刺客にKKの事を言うかといわれれば、そうでもない。
　…どうせ言った所で刺客が自分を殺すのは火を見るより明らかだ。
　なら言わないのがお得様であるKKに対してのせめてもの感謝の気持ちという物だろう。
　そんなヒューのガンとした態度を鼻で笑う音が僅かにビルに響いた。

「フフン、なかなか強気な発言だな。だが、言った方が身のためだぜ…ああ、お前の家族やお友達の為にもな。」
「…なん、だって？」

　その言葉にヒューは硬直した。

― こいつは、俺だけでなく、俺の大切な人達の命まで奪おうというのか…。

　ヒューは自分から血の気が引いていくのを感じていた。
　それは恐怖の為ではない、激しい怒りの為だ。
　言い様のない冷たい怒りが沸沸と身体の奥底から湧き上がる。
　そしてそれと共に鋭く研ぎ澄まされていく感覚。
　広がる視界の彩度がゆっくりと落ちてゆき何もかもが凍り付いて見えるようになる。
　強く吹き荒ぶビル風さえ今はゆったりとしたそよ風のように思え、その空気の流れの行き先までも感じる事が出来る。

…もう、逃げるわけにはいかない。

　刺客は直ぐに自らが「地雷」を踏んだ事に気が付いた。
　ビルの陰から押し寄せる凍りつきそうな殺気立った空気は到底一般人の出せるものではない。
　子猫を甚振るように追い詰めていたつもりが実際の所は黒豹の尻尾を踏み付けていたといった所だろう。

　凍えるような荒んだ気配を纏ったままレンチを片手にビルの影から現われた青年の瞳には先刻までの脅えの色はない。
　代わりにその据わった青い瞳には見つめた相手に底知れぬ恐怖と圧力を与える冷たい光が宿っていた。


　刺客はヒューの姿を認めると相手が自分と同じ飛び道具を持っていない事にまず安堵を覚え、そしてそんな自分に忌々しく舌打ちした。
　工具片手の丸腰同然の一般人相手に何を恐れているのか…。
　そう、相手は銃を持っていない。
　接近戦にならないよう一定の距離を保ちつつやり合えばいいのだ、何も怖れる事はない。
　足でも射抜けばその後十分甚振る事も可能だろう。
　自分の絶対的優位な状況に刺客の顔に余裕の色が浮かぶ。

「おい、そんな工具一つで銃相手に何が出来るっていうんだ？」
「……。」
「おい、何とか言い返してみたらど」

　刺客の言葉はそこで止まった。
　自分の前歯が一本欠け飛んだ事と、それがヒューが弾き飛ばしたネジが口に直撃した為だと認識するまでのほんの僅かな間にもヒューと自分の距離はぐんと縮まっていく。
　飛び道具は持っていない― そう勝手に思い込んでいた数秒前の自分を刺客は呪った。

「舐めやがって…！」

　血を撒き散らしながら怒声をあげ一発、二発と続けざまに撃つが、慌てていた為か弾丸はヒューの頬と肩を軽く掠り外れた。
　―これは実際にはヒューが紙一重で避けていたのだが。
　三発目、ヒューは手にもったレンチで銃弾の軌道をずらすと勢いを緩める事なく刺客めがけて走りつづける。
　この時点で刺客はようやく思い知る事になった。
　本来なら簡単に人の命を奪い去る事が出来る筈の恐ろしい武器が目前に迫っている相手には真正面からただ撃っても何の意味も為さないという事を。

　そして遂に四発目を撃つ事は出来なかった。
　自らに振りかざされたレンチから身を守る為に銃身を構え強烈な一撃を受け流す。
　大きく鈍い音がビルとビルの合間に響き渡った。
　どうやら相手は体格以上の力を出せるようだ…とても細身の人間の出す力とは思えない。

　レンチを受け流した銃身でそのまま相手の頭部を打ち付けようと腕を振るがその時には既にヒューの姿は目の前には無い。
　直後低い姿勢から繰り出されたレンチを刺客は上半身を後方に逸らし寸での所で避ける。
　僅かに重心を崩したその隙にヒューは容赦のない下段払いを刺客の足に喰らわせた。
　綺麗に決まった足払いに間抜けな格好で転倒しつつも刺客は先刻撃つ事が出来なかった４発目をヒューへと撃ち放った。

　殺った…と思ったのは束の間。

　本来ならば狙われた急所に向かって飛んでくる弾丸の位置をずらす事さえ困難と思われるこの超至近距離で、ヒューは僅かに身体を捻る動作で軽々と弾丸を避けてみせたのだ。
　刺客の表情が一気に緊張に強張った。
　目の前の男は体中全ての感覚を使って銃弾を〝視〟て、そして避けたのだ。

　ありえない状況に一瞬焦りを覚えた刺客だったが、攻防の内に徐々に冷静さを取り戻すと袖に仕込んでいたナイフをヒューの死角から一気に突き出す。
　暗殺者は銃だけでなく接近戦もこなせるのが当たり前だ。
　こうゆう時の為に幾つかの仕込みナイフを身につけている暗殺者は多い。
　突然のナイフによる攻撃…しかも死角からの攻撃にさすがのヒューも避けきれず、腕にザックリと大きな切り傷が作られる。
　僅かに遅れて溢れ出た大量の血にヒューの顔が大きく歪んだ。

「死ね…！」

　一瞬の隙を見逃す事無く刺客は止めの一撃を繰り出した。
　…しかし、それはヒューの心臓に到達する事はなかった。

　突然襲った衝撃の強さに刺客の身体は僅かに地を離れ宙に浮き、その後崩れるように前のめりに地面に倒れこんだ。
　そして気を緩めればそのまま意識を持っていかれそうな鳩尾の痛みに、漸く刺客は強烈なレンチの一撃を腹部に食らったという事実に気が付いた。
　しかもつい先刻自らが目の前の相手に繰り出した死角からの一撃と同じ手法で、だ。

「お、おま…、さっきの…」

　一瞬見ただけで、コイツはそれを覚え身に付けたというのか…。
　憎憎しげに呻きながら地面に口付けていた顔をようやく持ち上げた所にヒューから強烈な拳を貰い、今度は仰向けに吹っ飛んだ刺客はそのまま意識を手放した。

「…ッ　はぁ！ハァ…。」

　動かなくなった刺客を見て一気に緊張が緩んだヒューは大きく息を吐くとその場にへたり込んだ。
　それと同時に先刻つけられた腕の傷が脈を打って痛み出し、思わず小さい悲鳴を上げる。
　想像以上に深い傷を服の上から押さえながらヨロヨロと立ち上がると刺客に背を向けて歩き出した…その刹那。
　乾いた射撃音がビルとビルの狭間に響いた。

　驚き振り返ったヒューの視界に意識を失ったはずの刺客が半身を起こし銃を構えている姿が飛び込んだ。
　引き金は引かれていない…。
　憎き相手に引き金を引こうとした、ほんの僅か先に眉間と心臓を撃ち抜かれた為に引く事が出来なかったのだ。
　恐ろしい形相を浮かべたまま刺客は再び地面へと崩れ落ちる。

「…おいおい、ツメが甘いなあ。」

　横から掛けられた呑気なその声にヒューは僅かな怒りと大きな安堵を覚え、その場に再度へたり込むと不満を訴えるような目でKKを見上げる。

「KKさん、いたんなら、どうしてすぐ助けてくれなかったんですか…！」
「そう言うなよ、俺も仕事してたんだ…今慌てて来た所なんだよ。いやでも驚いた、プロの殺し屋気絶させるなんて一般人が逆立ちしたって出来る事じゃねえぜ。」

　KKの手放しの誉め言葉など耳に入っている様子もなく、ヒューはガックリと項垂れると僅かに肩を震わせながら文句を言う。

「どれだけ、怖かったと思ってるんですか…俺、俺もうこれ以上、こんな目にあうのは…。」
「― 安心しな、もう巻き込まれるこたぁねえって。今俺が処理してきてやったからよ。」

　脅えるヒューを安心させるかのようにKKは初めて会った時よりも随分と伸びたヒューの青い髪をくしゃくしゃと乱しながら言った。
　その言葉に視線を上げてみれば月明かりに青く照らされたKKは大きな怪我はないもののかなりボロボロの状態だった。
　…仕事というのは恐らく敵対していた組織の壊滅だったのだろう。
　血と埃にまみれたその姿はスゴ腕の掃除屋というよりはまるで死地から生還した歴戦の戦士といった風貌だ。
　彼も自分と同じ様に戦っていたのだ…ヒューは一方的にKKを責めた先刻までの自分を恥じた。

「しかし、派手にやられたな…深夜にそんな切り傷作って病院に行ったら怪しまれるだろうからなぁ、しゃーないウチに来い、特別に手当てしてやる。」

　そう言うと踵を返してくてく歩き出したKKにヒューは座り込んだまま慌てて声をかけた。

「あ、あの、あの、KKさん…！」
「…どうした？早くついて来いよ、しっかりついて来ないと迷子になるぞ？」
「そ、それが、…あの。」
「何だ？」
「その……　立てなくて。」
「……はぁ？！何だ、お前、腰抜けたのか？」

　頬を僅かに紅潮させ情けない表情で頷くヒューをKKは容赦無く思い切り笑い飛ばした。

　本当の所は本来は出せるはずのない力…いわゆる火事場の馬鹿力というのを無理やり引き出した反動でヒューの身体は言う事を聞かなくなってしまっていたのだが、傍から見れば安堵から脱力して腰が抜けた状態に見えても仕方なかっただろう。
　実際ヒュー自身もそう思っていたのだから。
「野郎をおんぶする趣味はねぇし、背後を取られるのも癪だが…まあお前そんな重く無さそうだしなぁ、…ったく、仕方ねえ。」
「す、スミマセン…。」

　元を正せばKKの所為でこんな目にあっているのに何故自分が謝らねばならないのだろう…と思いつつもヒューはKKの肩にしがみつく。


「あーあ、野郎をおんぶしてるこんな所をかわいい女の子に見られたら、俺はもうおしまいだな。」
「す、す、スミマセン…。」
「その時はお前、暫く機械の整備タダでしてくれよ。」
「え、ええ…。」
「おっし、じゃあ歓楽街でも回ってから帰るか！てか通らないと俺のうちまでいけないんだけどな、はは。わりぃな。」
「え？ちょ、ま、勘弁してください！俺の方が恥ずかしくて失血死しますよ！！」

　KKに嵌められた事とこれから晒し者になるという事実にヒューは一気に顔を真っ赤にさせ、その後青く変色させた。
　心なしか腕からの出血も増えたような気がする。
　微かに遠くなった意識は出血の為なのか、頭痛の為なのか…。


― そして数刻後、本当に顔から火が出るような恥ずかしい思いをするハメになるヒューだった。

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というわけでKK＆ヒュー　前回の続きのロングバージョンでした。
もう1Pヒュー兄さんの強さがギャグと化していますね、笑ってください…(恥)

無茶苦茶な強さを発揮しているヒューですが、KKよりは弱いです。
上にも書いてありますが黒豹のイメージなので、瞬発力があっても持久力がないのでKKには競り負けます(笑)


あとオワリの方、曖昧に終わっていますが、いつか別モノでKKのヒューの治療のお話をドコかにUPできたらなんて野望がありま(略)

04/11/25


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