― 君の面影を求めまた独り夜の街を彷徨う。
よく待ち合わせにつかった公園のベンチ。
君が二度と来ないことは分かっているのに…
もう一度、あの思い出の場所に、君に会いに行こう。
来ないことは分かっているのに…。
キリは冷たいベンチの上で一人ため息をついた。
今日は初めて彼と出会ってから3年目の記念日で、仕事の後に食事を一緒にしようとずっと前から約束をしていた。
仕事を終わらせて急いで自宅に帰り、いつもよりもちょっと時間をかけて身支度をして待ち合わせの公園へと急ぎ足で向かった。
弾む息を整えて時計を見てみると、針は待ち合わせの時間より15分も前を指していた。
「少し早く来すぎちゃったかな…。」
苦笑するキリのショルダーバッグの中、仕事中にマナーモードにしたままだった携帯が震えた。
彼からの着信だった。
「どうしても外せない仕事が入ってしまった…今日は帰れそうにない。」
…それは良くある事だったし、彼の仕事を考えれば仕方のない事だった。
電話越しの彼の声は、いつもの頼りがいのある声とは打って変わって心細く切ない声だった。
彼も、きっと残念で、悔しくてしょうがなかったに違いない。
けれど、どうしてもやりきれない想い…胸をよぎる不安。
仕事を投げ出してでも今日だけは駆けつけて欲しかったと彼を責めてしまう我が侭な自分をキリは胸の内で叱咤した。
「…。」
そして再び小さくため息をつく。
沈みかけていた夕日はその姿をビルの合間に隠し、公園を駆け回っていた子供たちは迎えの親に連れらて一人、また一人といなくなっていった。
時折自分の前を通り過ぎていた恋人達の姿もなくなり、誰もいなくなった夜の公園のベンチで一人、キリはじっと俯いたまま何度目になるか分からないため息をついた。
まるで世界で自分だけひとりぼっちなんじゃないかと錯覚してしまいそうになる…。
こみ上げる切なさに喉がキュっと締め付けられるような感覚を覚えた。
「!」
ふとその時、こちらに向かってくる小さな足音が聞こえ、キリは俯かせていた顔を音のする方へと向けた。
― 暗くてよく分からないけれど、彼とよく似た背格好…長身で、がたいはいいんだけど少し細くて…。
でも彼でない事は、口元にともる小さな火の所為ですぐに分かった。
暫くして辺りを明るく照らす外灯の下までやってきた青年がキリの方へと視線を移した。
「…!」
一瞬驚いたような表情を浮かべ、その直後に寂しげな表情に歪んだ青年の顔は、やはりキリのよく知る彼のものとは別のものだった。
胸の内で一気に高まった期待がみるみる絶望に変わっていくのを感じて、キリは再び顔を俯かせた。
「…。」
俯いている視界の隅に青年の足がわずかに映りこみ、煙草の煙の嫌な匂いが微かに鼻についた。
その時、砂を踏みつける青年の足がこちらへと向き直り、数歩進んで自分の前で止まった。
てっきり素通りするものだと思っていたキリは驚いて顔をあげた。
煙草を口に咥えた青年の透き通るようなアイスブルーの瞳と視線がぶつかる。
「…ビックリした、オバケかと思った。」
「お、オバケ…!?」
初対面の相手に対してあんまりな言葉に、キリはつい声をあげてしまった。
そんなキリの非難の色を含んだ視線に青年 ―ヒューは気まずそうに髪をかき、少し頭を下げた。
「あ、ああオバケなんていってゴメン。まさかこんな時間に女の人がベンチで一人いるとは思わなかったからさ。」
携帯灰皿に煙草を押し付けてしまうと、ヒューはキリの隣に座った。
突然現れてずかずかと近寄ってきた遠慮のないヒューに対して、キリは警戒心あらわにお尻1個分の距離をすかさず開けた。
その行動にヒューは思わず苦笑をもらしながらも、キリへと声をかけた。
「誰かと待ち合わせ?」
「…はい。」
「そっか。ここ、いいよね。星を見ているだけでも飽きないしさ、俺も夜にこっそり会う時にはよくここで待ち合わせしてたんだ。」
そう言うと綺麗に晴れた夜空を見上げてヒューは優しく微笑んだ。
つられてキリも空を見上げる。
視線の先にはまばゆいばかりの星空が広がっていた。
「…。」
そういえばここで待ち合わせする時、いつも不安から俯いてばかりだった。
こんな綺麗な星空が広がっていただなんて、今隣にいる青年に言われなければ気がつかないままだったかもしれない…。
ちょっとだけ警戒心を解いて、キリは隣に座るヒューに声をかけた。
「貴方も…今日ここで誰かと待ち合わせを?」
「いや、今はもう待ち合わせしたくても出来ないからさ…。遠くにいってしまってね。」
「…。」
触れてはいけないものに触れてしまったと思ったのだろう、見る見る間にキリの表情が曇っていった。
ますます落ち込んでしまったキリの様子にヒューは慌てて話題を転換した。
「そんな事より、君を待たせている人はまだ来ないのかい?もう夜も遅いし、さすがにこんな時間に待ち合わせは物騒だと思うけど。」
「…来ない事は、分かってるんです。」
「え?」
キリの予想外の返答に、ヒューは目を丸くした。
こんな夜遅く、来もしない人を何故いつまでも待っているのだろう…そんなヒューの疑問のまなざしに答えるかのように、キリは言葉を続けた。
「急な仕事が入ったって…。仕事だから仕方ないって分かってる。でも、私、諦められなくて…」
見知らぬ青年にこんな事を言うなんて…そう思いながらもキリは先刻まで喉を締め付けていた想いを吐き出した。
ひざの上で組んだ指にギュっと力が篭る。
そんな辛そうに吐露するキリを、ヒューは目を細めて見つめた。
「とても、不安になるんです…。このまま、私の事なんて忘れられてしまうんじゃないかって、彼を信じているのに、どうしようもなく不安になるんです。」
ヒューはキリの言葉に小さく唸ると、考え込むように腕組みをして俯いた。
暫くして、ぽつりと言葉を漏らす。
「うーん…難しい事かもしれないけれど、今君が言った事そのままを彼に伝えればいいんじゃないかな。」
「そんな、ムリです…!仕事で彼は忙しいのに、それを責めるような事、言えません。」
「うん、まあ確かに仕事と私どっちが大事なの!…っていうのは男にとって聞かれたら一番ツライ事だけどさ。」
困ったように頭を掻くと、ヒューは言葉を続けた。
「君一人で溜め込む必要はないだろう?君が抱いているような不安だったら、告白してもらえた方が彼は嬉しいと思うけど。」
「?」
嬉しいなどという予想もしていなかった意外な言葉に、今度はキリが目を丸くした。
「だって、彼の事が大好きだからこそ不安になるんだろう?俺だったら…そりゃ不安にさせてしまって申し訳ないと思うだろうけど、やっぱり嬉しいと思っちゃうだろうな。」
「…でも。」
「男ってさ…彼女が本当につらい時は黙ってガマンされるより、自分を頼って欲しいって思うものだよ。」
「…。」
再び俯いてしまったキリをヒューは優しく見つめた。
「俺は、好きだって気持ちも、不安だって気持ちも、お互い全部伝えられないまま別れてしまったからさ…。それは未だに後悔している。もっと彼女の我が侭だって、愚痴だって聞いてやりたかった…。」
その言葉にキリははっと視線をあげると、ヒューの顔に見入った。
優しいけれど切なそうな表情は、想いを伝えられなかった事を今でも深く悔やんでいるのをキリに訴えかけているかのようだった。
それ以上反論もできず、キリは再び言葉を詰まらせてしまった。
「…。」
黙り込んでしまったキリにヒューは小さくため息をつくと、明るい表情を作って微笑みかけた。
「まあ、突然やってきた見知らぬ男にそんな事言われても、気味悪いだけだよな。」
「そんな事、ないです…!話聞いてくれて、ありがとうございます。随分気が楽になりました。」
それならいいんだけれど…そう言いながらヒューはベンチから立ち上がった。
「じゃ、俺はそろそろ行くよ。君も今日はもう帰った方がいい。物騒だろうし、それに…。」
「それに…?」
「こんなどこの誰だかわからない男と一緒にいるところ、万が一彼氏に見られたら大変だろう?」
そう言うとヒューは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
まだ少しだけ幼さを感じさせる笑みに、キリもつられて笑みを漏らした。
「それじゃ、おやすみ。」
背を向けて手を振るヒューのどこか寂しげな後ろ姿にキリは胸がしめつけられ、再び表情を曇らせた。
― ベンチに座る自分を見つけた時に浮かべた、青年の驚きと寂しそうなあの表情。
彼もきっと自分と同じように、待ち人がいるのかと一瞬勘違いしたのだろう。
けれど彼はその後、自分の事をオバケだといった。
それはつまり、自分と違って彼はもう二度と待ちこがれる人と会うことは出来ないという事。
「……。」
― 伝えよう。
もしかしたら、我が侭な女と思われてしまうかもしれないけれど、きっと、大丈夫。
強く想う気持ちがあれば、きっと、一緒に乗り越えられる。
ベンチから立ち上がると、キリは再び夜空を見上げた。
輝く星達はまるで励ましてくれるかのように鮮やかに瞬いていた。
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というわけで、キリヒュでした。この話はずっと以前から書きたくて大体の話はまとまっていたのですが
なかなか読める形にまで持ってくることができないでいました。
そんな時にwishのロングを聴いて、萌えをもらって一気に推敲しました(笑)
まあ相変わらずヒュー兄さんうじうじしていますが、ちょっと大人な話がかけたかなあとは思っています。
ウチのサイトのヒュー兄さんが煙草吸っている時は大抵うじうじしている時なんですが、
それをキリの嫌いなもの(煙草の煙)とつながりをもたせて二人の話を作ってみました。
キリはこの後困難をのりこえて、待ち続けた彼と幸せになるのでしょう〜。
06/08/08