ヒューは「今日の事はココだけの秘密な。皆にはナイショだぞ。」と付け加えるとさっさと大通りへ向けて一人早足で歩きだした。
 見失わないようにその背を暫く追っていると大通りに出る手前でヒューは足を止め俺の方を振り返った。
 細められた切れ長の目から覗くアイスブルーの瞳には先刻までの冷たさは無く、痛々しい程の辛さと苦さが湛えられていた。
 ようやく俺はヒューの横にまで追い付くとまだ人で賑わう大通りを一緒に並んで歩きだした。

暫くの沈黙の後ヒューが重い口を開いた。

「…さっきさ。居酒屋で俺が国を旅立つ時に家族や親戚が見送ってくれたって話をしただろ。」
「?…ん、ああ。」
「実はあの時、妹だけは来てくれなかったんだ。」

 突然の告白に俺は言葉をなくした。
 確かヒューは今妹と一緒に暮らしている筈…仲が悪いという訳じゃないだろう。
 俺が感じた疑問に答えるかのようにヒューは聞き取れるかどうか微妙な声量で続きを話し出した。

「俺が国を出るちょっと前の話なんだけど、俺の住んでた街じゃ一番最悪だって言われてた連中に妹が絡まれてさ。まあ詳しい事は省くけどまだ若かった俺は自分の感情を抑えられなくて妹の目の前で連中を手当たり次第徹底的にブッ倒しちまったんだ…それこそさっきの比じゃないくらいにな。妹は連中に暴行されそうになったショックと、俺のもうひとつの一面を垣間見ちまった両方から暫く言葉も喋れないくらい虚弱状態になっちまって。いつもは騒がしいくらい元気で活発な妹だったのにその時は見る影も無かった…。」

 そこで一旦言葉を区切るとヒューは一つ溜息をついて苦渋の表情を浮かべる。
 俺はただ黙ってヒューの言葉に耳を傾けた。

「結局俺はその後妹に会う事なく日本にきた。その時は態の良い海外逃亡だとか思っていたけど日が経つにつれどんどん後悔の念にかられてさ。でも、きっと妹は今でも俺の事怖がってるんじゃないか、嫌ってるんじゃないかって思うと…俺から連絡を取る気にはどうしてもなれなかったんだ。」

 そう言うヒューの表情は本当に辛そうで…その事件が起こるまでは二人は本当に仲のいい兄妹だったのだろうと俺は察した。


「そんなある日、そうだな…丁度俺の彼女が事故で亡くなってから3ヶ月くらい経った日だったかな。俺が工場から帰ってきたら俺の家に妹が居たんだよ。あまり俺って物事に動揺する方じゃないんだけど、あの時はマジで動揺した。家の廊下で顔合わせた瞬間、なんでずっと連絡くれなかったんだ!とか甲斐性無しのバカ兄貴!とか散々罵られてさ。でも最後にアイツ泣きながら…兄ちゃんの事嫌いになった事は一度も無い、あの時守ってくれて有難う、なんて言ってくれて…。それ以来俺は妹に頭が上がらなくて今じゃ皆から妹を甘やかし過ぎるすぎてるとか兄バカだとか言われてる…。」

 苦笑いを浮かべるとヒューは頭を掻き、直後また真剣な表情へと戻る。

「まあ、でも…俺が連中をぶっ倒した所為で妹に怖い思いをさせてしまったのは事実だし、あれ以来喧嘩はもうしないって決めてたのに…またやっちまった。どうも大事な人や家族の事に関わると箍が外れるみたいでさ。」

 ヒューは突如足を止め俺に向き直るといきなり深々と頭を下げた。

「その、…リュウにも怖い思いさせてしまって、ゴメン!」

 夜とはいえまだ人の多い大通りだ、一気に周囲の視線が集まる。
 俺は慌ててヒューの肩を掴んで無理矢理自分に向き直させた。

「そんな頭下げてまで謝るなって!それってつまり俺のこと家族と同じくらい大事に思ってくれてたって事だろ?俺は怖いって思うより寧ろ嬉しいよ。」
「…本当か?」
「ああ。」
「…そっか、よかった…。」

 安堵から今にも泣き出してしまいそうな…そんな何処か切ないヒューの笑みに俺は思わずその頭を抱きかかえていた。
 抱きかかえてから俺は俺の行動に激しく動揺していた。
 今までの俺じゃ到底考えられない挙動だ…。
 その後どうしていいのか分からなくなってしまい、俺はヒューの頭を抱えたまま硬直してしまった。


― そして結局、俺達は暫く周囲の視線を集めたままだった。


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