時刻は既に午前2時を回っていた。
 郊外から更に少し離れたこの街はすっかり夜の底に沈み込みシンとした静寂に包まれている。
 そんな静寂の世界を打ち壊すかのようにカンカンカンと金属を踏みつける音が俺のいる205号室まで聞こえてきた。
 恐らくわざと大きな音を立てて階段を昇って来ているのだろう、幾らアパート全室を俺が借りているとはいえ少々近所迷惑だ。
 騒音のような足音が部屋の前で止まり暫くしてドアがノックされる。
 俺はノートパソコンを床に置き立ち上がると一応ドアスコープで外を確認してからドアを開けた。

「おいオッサン…アンタ足音消して歩く事くらい簡単に出来るんだろ?もうちょっと静かに来れねぇのかよ。」
「お前が居眠りでもしてるんじゃないかって心配だったから起こしてやろうと思ってした事なのにそんな風に言うこたぁねえだろ。」

 少しも悪びれずKKが言う。
 俺はわざとでかい音で舌打ちをしてからKKを部屋に招きいれた。

「ああそうだ。あんま冷えてねえかもしれねぇけど手土産だ。」

 機材だらけのリビングに入った所でKKは俺の方にビールを1缶放り投げてきた。
 ビニール袋から自分の分も1缶取り出すとKKは俺から少し離れた位置に狭そうに座る。
 恐らく此処まで来る間にかなり乱暴にビールを持ってきたのだろう、開けた途端に泡が溢れ出し俺はビールがついた指を唇で拭った。

「もっと丁寧に持って来いよな…っていうかマジで温いな。」
「ココで人が殺されてるんだ。温いビールも多少冷たく感じるだろ。」
「もう慣れたよ。温いモンは温い。」

 KKに毒づきながらも俺はビールを一気に煽った。
 俺にとってはビールは水みたいなものだ、摂取しても仕事に支障はない。

「さて、じゃあまずお前さんの話から聞こうか。」

 KKが手に持っているビール缶をこちらに少し持ち上げながら言った。

「…そうだな、ちょっと長くなるけど。」

 俺はもう一本ビールを開けながらポツリポツリとヒュ―との出会い、出来事を語りだした。
 とにかく嘘は一切言わず真実だけを伝える事にした。
 信じてもらえるかどうかは置いておいて、やっと手に入れたチャンスを逃がしたくなかったからだ。
 KKは裏家業の人間だけあって鋭い所があるから俺が嘘をつけばそれを見抜いてしまう可能性も少なからずあるだろう。
 嘘をついた所為でこのチャンスを逃がすなんて事だけは避けたかった。



 俺の話にKKは時折疑問を投げかけてくる以外はただ相槌を打って黙って聞いているだけだった。
 ヒューとの出会い、整備の話、不良達とのいざこざ、悪戯好きの二人の事、そしてヒューとの突然の別れ…
 全てを話し終わりKKの方へと視線を送るとKKは不精ヒゲを撫でながら一回大きく頷いた。

「んー大体の事は分かった…。」
「信じてもらえるかどうかは分からないけど…。」
「信じるさ。俺もいろいろ不可思議な事には遭遇してっからさ。」
「そっか…。」

 俺は安堵の息を吐き出すと空になったビールの缶を床に置いた。
 話し疲れて一息つく俺の顔をKKが覗き込んでくる。

「で、話聞く限りじゃあもう一人のヒューってのは生真面目な青年ながらもむっちゃくちゃ強ぇって事か?」
「興味半分で手だすなよ…。」
「わぁってるって、ちょっと聞いてみただけだ。」
「容姿は俺とそっくりだけど俺と一緒だとは考えない方がいい。多分アンタでもかなり苦戦する…っていうか接近戦じゃアンタでも危ないかもしれない。」
「それ…マジでいってんのか?」

 KKが身を乗り出してくる。
 俺の言葉が癇に障った訳ではなくどうやら純粋にヒューに対して興味を持ったようだ。

「ああ。とんでもない身体能力の持ち主だからな…酒盛りしながら聞いたんだけど、あいつマンションの屋上から飛び降りて遊んだ事があるらしいし。」
「…はぁ?マジかよ!?」
「どこかのアクション俳優がワイヤーアクションでやってたけど建造物の出っ張りに掴まりながらちょっとずつ降りていくやつ。映画見て感銘をうけてマジでやってみたらしい。」
「…バカだな。」
「ああ、確かにそうゆうところは抜けてるんだよ…。」

 ヒューは俺が整備場にいる間も仕事の合間にいきなり壁宙をしたり2階から気分転換とか言ってダイブしていた。
 トビーズはソレを見て大いに喜んでいたが俺は初めて見た時正直心臓が飛び出るくらいビビった。
 俺は出来てせいぜい前宙やバク宙くらいだろう。
 ヒューの真似をして俺が2階から飛び降りたら打ち所が悪ければ骨の1,2本くらい折れてしまいそうだ。

「話ずれたけど…とにかくそんなバケモンみたいなヤツだからヘタに手だすとアンタでも怪我するぜ。」
「んー分かった。接触したとしても喧嘩はしないようにするわ。」

 ニヤニヤ笑うKKに一抹の不安を覚えたがとりあえず俺はKKを信用する事にした。

「次は俺が聞く番だ。オッサンが言っていた心当たりのある人物っていうのは?」
「詳しくはいぇねえが俺が殺そうと思っても歯が立たなかった相手さ…かなりの危険人物だな。」
「なあ、その人物にアンタと一緒に俺も会う事は出来ないか?」

 俺の無茶な注文にKKは露骨に顔を顰めた。

「お前なあ…俺の話聞いてたか?危険人物つっただろ。万が一殺り合う事になったら流石の俺でもお前まで守ってやれる余裕はねぇぞ。大人しく俺からの情報を待ってろって。」
「…そうか、分かった。」

 実際にその人物に会って話を聞いてみたかったのだが…やっぱり無理のようだ。
 未練はあったが俺は素直にKKの言葉に従う事にした。

「さてと、じゃあ報酬の話に移るか。それなりの額じゃなきゃ俺は動かないぜ。」
「分かってる…。アンタが危険人物に接触して有益な情報を得られた段階で100万、ヒューの生死の有無が確認できた段階で200万。ヒューが生きていたら…生きているという証拠を何かしら提示してくれた段階で更に500万だ。」
「へぇ、人探しにしちゃ破格だな。」
「あとツケもチャラにしてやる。」

 更に付け加えられた報酬の内容にKKは正気の沙汰かと言わんばかりに食い入るような目つきで俺の顔を覗き込んできた。

「おいそれマジかよ!?お前俺が何円ツケにしてるか忘れちまったとかじゃねえだろうな!?」
「ハッ…ツケにしちゃかなり破格ってのは間違いないな。それだけ本気だって事だ。そして俺は今アンタに頼るしかない。」
「本ッ当にマジなんだな…。了解了解、こりゃ相当気合いれて探さねぇとな…。」

 俺の睨み付けるような真剣な眼差しを受けKKの口元に不敵な笑みが宿る。
 何でも屋さんこと、掃除屋が本気になった瞬間だ。

「で、もしも見つけ出したらお前に会わせりゃいいって事か?」
「いや、俺は会わない。ヒューが生きてるのか今どうしているのか分かればそれでいい。」

 俺の言葉があまりにも意外だったのか、KKは酷く驚いた様子で眠そうな目を見開くと口を一瞬噤んだ。

「会わないって…お前、ソイツに会う為に裏の世界に顔つっこんで危険冒してきたんだろ!?なんで会わねぇんだ?」
「…今アンタが言った言葉がそのまま理由だ。」
「あ〜。お前が会う事によってもう一人のヒューを裏の世界や危険に巻き込んじまうかもしれないっつー気遣いか。」
「……。」

 押し黙った俺をビールをもった手で指差すとKKにしては珍しく真面目な顔で諭すように言う。

「お前な、ソレなんつーか知ってるか?余計な気遣いって言うんだよ。お前の話聞いた限りじゃもう一人のヒューもすっげえお前に会いたがってると思うぜ。それこそ喩え危険に巻き込まれてもな。」
「別に、理由はそれだけじゃないさ。」
「もう一人のヒューにお前が裏の世界の人間になっちまった事を知られたくないのか?」

 こうゆう時のKKは妙に鋭い。
 気まずい雰囲気に俺はKKと視線を合わせている事に堪えられなくなり、俯いて視線を逸らすと小さくぼやいた。

「俺はヒューを傷つけたくないんだ…。それにアイツ凄い不運だからさ、俺の所為で命の危険に晒されるかもしれない…。俺が会いたいのを我慢すればいいだけなんだ。」
「はぁ…ったく、お前って本当不器用な奴だな。」

 そう言ってKKは俯いた俺の頭に手を置くとぐしゃぐしゃと髪を乱した。
 子供扱いされているようで腹が立ったが何故かその手を振り払う気にはなれなかった。

「まあ俺もプロだ。依頼者がそう言うなら無理に会わせようとはしねぇよ。」
「…。」

 ポンポンと手のひらで俺の頭を軽く叩くとKKは気だるそうに「よっこらしょ」と言いながら立ち上がった。
 そして無言で見上げる俺に向かって不敵な笑みを寄越す。

「期待して待ってな。イイ情報持って来てやる。」
「俺も何か情報が手にはいったら仲介人通してアンタに連絡するよ…よろしく頼む。」
「まかせとけって。だからよ…そんな辛気臭ぇ顔してねえでちったあ元気だせよな。しょぼくれたお前をからかっても面白くも何ともねぇからな。」

 KKが柄にも無く俺を気遣う言葉を投げかけて来た。
 それが妙にこそばゆくて俺は苦笑を漏らすとKKに向けて無言で軽く右手を上げた。
 応える様にKKも軽く手を上げると何時もの飄々とした歩きで玄関まで向かい靴を履く。

「とりあえず3日以内には何かしら連絡する。そん時になって寝不足でダウンしました〜なんて事にならねぇようにちゃんと寝とけよ。」
「ああ。…オッサンも、その…気をつけて。」
「ん?おう分かってるって。じゃ、またな。」

 俺の「気をつけて」という言葉に少し驚いた表情を浮かべた後、気を取り直したかのようにKKはにやりと笑うとドアを閉めた。
 必要のない機器の電源を落とし自分も部屋を出ようと玄関を開けた丁度その時、ドアの隙間から急に光が差し込んできて俺は思わず目を細めた。
 手を翳し光の方へと視線を送ると建物と建物の間から既に太陽が顔を覗かせ始めていた。

「…チッ、今日もあまり寝れそうにないな…。」

 愚痴をこぼし太陽の光にチカチカする目を擦りながら玄関の外に出てドアを閉めた。
 ロックしようとして傷だらけのドアに刻まれた「205」の文字が自然と目に入る。
 丁度俺の影の胸元あたりにあるその文字を暫く見つめた。
 ヒューを探す為に足を踏み入れた特別な部屋。
 …この部屋とも別れる日が近づいているのかもしれない。

「……。」

 俺は厳重にドアをロックし205号室を後にした。


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