微妙に長くなりすぎた無精ひげを撫でながら俺は溜息をついた。
 空を見上げてみれば星や月には厚い雲が掛かり、ただでさえ暗い路地裏を更に不気味にさせている。

「…さてと、面倒だが行くしかねえよな。」

 人一人居ない寂れきった裏通りには漫画に出てきそうな廃ビルがずっと続いている。
 此処が日本の中心に位置する首都の一部だと言って信じる人間がどれ位いるだろうか?
 普通に歩いているだけでは気がつかないだろう…が、どの国のどんな栄えた町にも数箇所はこんな風に忘れ去られてしまった場所がある。
 延々と続いていく廃屋、廃ビル…その中でも一際背の高いビルを俺は見上げた。
 嘗ては立派なビルだったんだろう…だが今は階段や窓は所々崩れ落ち、強いビル風に負けてブッ倒れるんじゃないかと思うくらいのボロさだ。
 目を凝らしてビルの上空を見てみると不思議な事にこのビルの上方だけは厚い雲は一欠けらも無く綺麗な星空が広がっている。
 そして俺は「ヤツ」がこのビルの屋上に居る事を確信した。

 ビルの入口だったと思われる場所から中に侵入し所々に開いた穴に足をつっこまないように慎重に屋上へと向かう。
 一番上まで上ると屋上へと繋がる鉄製の重いドアを思い切り蹴り開ける。
 一歩足を進めてあたりを見回していると呑気な声が上方から降り注いできた。

「もうちょっと静かに開けろよな〜。」
「わりぃわりぃ。」

 頭上に浮いている少年に向けて俺は軽く手を上げた。
 謝って済むなら警察いらないな、と少年は軽く嫌味を言うと空中でくるりと回転し俺の目の前へと舞い降りてくる。
 MZD…ここからの星空が好きで週末の夜にはよくココで天体観測をしていたりする風変わりな「神」だ。
 ヒューのヤツには危険人物と言ったが命のやり取りになるような事は今となってはありえない。
 じゃあ何でヒューを一緒に連れて来なかったか…それは至極簡単な事で俺がMZDを苦手としているからだ。
 コイツにからかわれる様をヒューに見られるのは正直イイ気がしない。

「で、何の用?」

 天体観測を邪魔した俺に対してMZDは肩を竦めるとニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
 コイツは俺がどんな用件でやってきたのか多分知っているのだろう。
 だからと言って俺が黙っていては会話は始まらない…面倒だが俺から話を切り出す事にした。

「お前さ、もう一人の自分はうんぬんって前に言ってただろ。」
「あーあー、そんな事言ってたっけな。」
「簡潔に言おう、もう一人の自分に会うにはどうしたらイイ?」
「ん、何だ急に?よわっちいヤツ等を殺すんじゃ飽き足りず自分と殺し合いでもしたくなったとか?」

 口を綺麗な三日月のように歪めるとMZDは腕組したまま俺の顔を覗き込んでくる。
 俺をからかうのが至極楽しいと言わんばかりのその態度に思わず眉根を顰めた。

「違う。俺みたいなイカれたヤツがもう一人いるんならちょっと話をしてみてぇと思っただけさ。」
「やめた方がいいと思うけどなあ、結構危険だぜ。」
「…危険?」
「あー話すと長くなるんだけどさ!」

 MZDは俺から少し距離を置くと身体を宙に浮かせエヘンと偉そうに背を逸らせて人差し指を立てた。

「もう一人の自分っつーのは別世界に居て普通に生活してたら絶対に出会う事がねぇんだ。」
「へえ、もし普通に生活してて出会えたとしたら…?」
「そりゃ相当不運な人間だな。」

 もし実際にそんなヤツがいるのなら不幸について語り合ってみたいもんだとMZDは付け足した。
 その言葉に俺は不審さを露わにして首を傾げた。

「不運?ラッキーじゃねえのか。」
「不運も不運さ!相ッ当運のねえヤツなんじゃねえかな。ほら一度くらい聞いた事あるだろ?自分にソックリな人間に会うと死ぬっていうアレ。」
「ドッペルゲンガーか。」

 俺の答えに「正解!」と言うとMZDは満足そうに頷く。
 出来の悪い生徒がやっと答えを導き出したのを手放しで誉める教師のような態度が非常に気に食わなかったが黙っておく。
 文句を言うと次はどんな風にからかわれるか分かったもんじゃない。
 そんな俺の思いに気がついているのかいないのか、MZDはニヤニヤと笑いながら会話を続ける。

「もう一人の自分に出会うってのは…つまり別世界に足を踏み入れるって事なんだけどさ。」

 そう言ってMZDは両手の指でOKサインを作るとその輪と輪を繋ぎ合わせた。
 恐らく別世界と別世界が繋がったのを表現しているんだろう。

「その時に"歪み"が生じるんだ。世界はその"歪み"を無理矢理修正しようとするんだけど…もう一人の自分に出会うっつーのは生じる歪みの中では最大級でさ。ドカーンって感じ?」

 そこまで言うと繋げていた輪を外し両手を広げてバンザイをして手を振る。
 多分爆発…を表現しているんだろう。
 物分りの悪い子供に対してするようなオーバーアクションでバカにされてる気がしたが文句を言うのはぐっと我慢した。
 今はMZDから話を聞きだすほうが優先だ。

「…で、大概の人間は歪みの修正に耐えられずに死んじまったり大怪我をしたりするんだ。分かったか?」
「ああ…それで自分ソックリの人間に会うと死ぬっつー話が生まれたと。」
「だから結構危ないんだぜ。3.4日も一緒にいりゃ絶対にデカイ事故や自然災害に巻き込まれたりするからなぁ。それでも会いたいワケ?」

 どうやらヒューが死ななかったのは不幸中の幸いらしい。
 そしてもう一人のヒューが生きている保障は無いというのも分かった。
 今までのMZDの話を聞く限りでは死んでいる確率の方が高いかもしれない。
 …まあ、ここでアレコレ悩んでいても話は進まない。
 とりあえず俺は宙に浮くMZDを見上げると大きく頷いた。

「ああ、危険と聞いてますます会いたくなった。なあ、何か手っ取り早い方法はねぇのか?」
「わざわざ忠告してやってるってのに、相変わらず無茶な事言ってくるのナ…仕方ねえなあ。おーい!」

 ムチャな注文にMZDは盛大に溜息をつくと突然誰も居ない空へと向かって大声で呼びかけた。
 何一人で喚いているんだ…と思ったその瞬間、空が割れ眩い青緑の光が溢れる。
 そこからひょっこりと顔を覗かせたのは鳥の頭部…しかも可愛い三角帽子を被った白骨化した鳥の頭だ。

「忙しい所悪いな。あのさ、この髭オヤジがもう一人の自分に会いたいんだとさ。お前の星を少し分けてやってくれねえ?」

 僅かに鳥の頭が俺の方へ向く。
 本来眼球のある位置は真っ暗で思考はまったく読めない。
 あまりの不気味さに俺は思わず後ずさりしてしまった。
 暫くじっと俺を見つめた後…正確には眼球はないので俺を見つめているのかどうかは分からないが…鳥頭は俺から視線を逸らすと頭部と同じように白骨化した指を服の裾に忍ばせそこから一つの光を取り出した。
 小さくて分かり難いがそれはよく見てみると星のような形をしている。

「サンキューな。」

 MZDは礼を一つ言い星を受け取るとにこやかに微笑み鳥頭に向かって手を振る。
 それを見た鳥頭は小さく頷くと再び空の亀裂の中へとその身を忍ばせていった。
 そして完全に亀裂がなくなったのを見届けるとMZDは再び俺の元へと舞い降りてきた。

「アイツはメメって言って別次元に迷い込んだ魂を導く仕事をしてるんだ。」
「へぇ…あの妙な鳥は自分の意志で好き勝手に次元を行き来する事が出来るって事か。」
「そうゆうこと。でもメメは忙しいからお前につきっきりってワケにもいかないからさ。そこでこの星の登場ってワケ。」

 そう言ってMZDが俺に眩い光を差し出す。
 先刻メメから受け取った星だ。
 淡く発光する手のひらサイズの星は神秘的、というより可愛らしい。

「何だ?このファンシーな星は?」
「これは"呼び込む星"だ。」
「呼び込む?」
「そ、会いたい人間を呼び寄せる星。その相手は次元を超えた相手にも有効!」

 俺はMZDから星を受け取るとまじまじと見つめた。
 見かけはファンシーで愛らしいがMZDの話が本当ならば物凄い道具だ。

「凄いな…。で、具体的な使用方法は?」
「会いたいヤツの顔を思い浮かべるだけでOK。えーと、もう一人の自分に会いたければ自分を思い浮かべればいいはずさ。」
「へえ…便利な道具じゃねえか。」
「はは、それがなあ〜そうでもないんだよなあ。」

 含み笑いを浮かべ勿体振った話し方をするMZDを俺は不快感露わに睨みつけた。
 話を聞いた限りではかなり便利な道具だと思ったのだが…よくよく考えてみればコイツが用意したものがそうそう一筋縄にいくわけがない。

「どうゆう事だ?」
「歪みなんてドコで生じるか分からなねえ不確定なモンなんだからさ。3日後に会えるかもしれないし〜30年後かもしれないし。ま、運がよけりゃ…いや、運が悪けりゃ直ぐに会えるんじゃねえの?」
「なんだよ。確実に会えるってワケじゃねえのか。」
「釣りと一緒さ。その星は釣りのエサってトコかな?ま〜気長にがんばれや。」

 MZDはそう言うと俺の肩をポンポンと叩いてきた。
 無責任なMZDの態度に再び腹が立ったが無償で手がかりを貰ったのだ、文句は言えない。
 もう一人のヒューが生きているかもどうかも分からないし会える保障も無い…が、今までのゼロの状態を思えば大進展だろう。
 そんな事を思いながら発光する星を見つめる俺にMZDが何かを思い出したかのように付け加えてきた。

「ああ、もしも偶然会えたとしても2日以上経過したら絶対に離れろよ?」
「それ以上いると命の危険性があるんだったな。」
「そ。単独事故ならいいけど大災害が起こったらマジ面倒だからさ〜頼むぜ。」

 そう言残し空高く舞い上がろうとするMZDを俺は慌てて呼び止めた。

「待て、もう一つ聞きたい。もう一人の自分と離れれば、呼び寄せた相手はちゃんと元の世界に戻れるのか?」
「あ〜ちゃんと自然に元の世界に帰れる筈だぜ。」
「そうか。」

 それを聞いて安心した。
 呼び寄せておいてもう一人のヒューが元の世界に戻れなかったらそれは不憫だ、不幸の上塗りだ。

「しかし星に会いたい相手を願うなんて、乙女チックでイヤだな…。」
「バカだな、そこがいいんだろ?お星様お願い!ってヤツだ。ま、精々ガンバッテな。」

 俺に向かって楽しげに手を振ると再びMZDは空へと舞い上がった。
 その途端、晴れていた上空に雲が覆い被さり淡い光を放っている星空と月を次々に隠してゆく。
 空高く飛べるのならば別にこのビルからわざわざ星空なんて見る必要ないだろうに…相変わらずヤツの考える事は分からない。
 厚く覆い被さった雲の中へとMZDが完全に消えたのを見届けてから俺は貰った星を持って屋上からビルの中へと戻った。
 暗いビルの壁を淡く照らす星を目の高さにまで持って来ると俺は目を伏せた。

「…えーと。会いたいヤツの顔を思い浮かべるんだったな。」

 聞いた話通りならばもう一人のヒューの頭髪は蒼、瞳はアイスブルー。

「でもって目の下に隈がなくて純情で素直そうで不運背負ってそうなヒューを思い浮かべればイイって事か。」

 …思い浮かべようとして思わず吹き出してしまった。
 そんな毒気のないヒューをそうそう簡単に思い浮かべられるわけがない。
 まあ、ムリに今思い浮かべる必要はないだろう…ファンシーな星を胸ポケットにしまおうとした丁度その時、反対側の胸ポケットにしまっていた携帯が振るえた。
 Gのおやっさんからの着信だ。

「おやっさん、どうした?」
― 迷子鳥からの情報だ。この前壊滅した組織あっただろう?その残党がお前さんの命狙ってソッチに向かってるらしい。
「あ?そりゃとんだ逆恨みだな。で、人数は?」
― 12人だ。
「多いな。ま、テキトウにあしらっておくわ、サンキューな。」

 必要最低限の情報をやり取りして携帯の電源を落とす。
 …やりあうには今いる場所は絶好の場所だ。
 このビルを気に入っているMZDには悪いが戦場にさせてもらう事にした。

「さて、と…大仕事の前に一仕事ちゃちゃっと片付けますか。」

 軽く舌なめずりをして崩れかけた階段を慎重に降りる。
 一つ下の階に降りた所で人の気配を感じた。
 …思っていたよりも随分と早いご登場だ。
 しかし情報にあった人数とは違う、感じる気配は一人だけだ。
 様子を見るための先導隊だろうか…?
 迫り来る刺客に対し俺は背中の腰ベルトに掛けてあったナイフを取り出そうとして思いとどまった。
 感じる気配の杜撰さからいって残党の中でも下っ端なのだろう。
 処分する事は簡単に出来るがここは敢えて生け捕りにして他のヤツ等がどうしているのか聞き出したほうがいい。
 …殺すのはその後でも出来る。

「………。」

 一歩、一歩近づく。
 本当に相手はプロなのだろうか?まるで気配を隠す様子もなく、酷く脅えた様子が伝わってくる。
 まあ自分達の組織を壊滅させた相手の様子を伺っているのだから脅えるのも無理はない。
 にしても、随分と情けないヤツだ。
 そんな事を思いながらも慎重に間合いを詰め相手からは死角となる壁際で気配を殺し時を待つ。
 暫くして俺のいる壁を隔てた直ぐ向こう側まで気配がやって来た。
 そして相手の視界に俺が入るその直前、俺は腕を伸ばし相手の喉首を掴みあげた。

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