「おい、起きろ。」
「…ん。ああ、オッサン。」

 KKの起きろという声に俺はすっかり眠り込んでしまった事に気がついた。
 目を擦り隣を見てみると一緒に居た筈のヒューの姿が無い。
 疑問の目をKKに向けると無精ひげの生えた顎を寝室の方へとしゃくった。

「アッチのヒューはベッドに運んでおいた。」
「そうか…。」
「帰ってきたら二人仲良く肩寄せあって寝てるもんだから起こしていいモンか悩んだんだけどよ…。」

 そう言うとドカっと俺の横に腰掛ける。

「あまり時間ねえから今のうちに事情を説明しておきたくてな。」
「時間がないって…どうゆう事だ?」
「結論から言うと、お前等は長時間一緒にいる事は出来ねぇんだ。」
「…え?」

 状況が把握できないでいる俺に対してKKは危険人物から聞いてきたという情報を話し出した。
 時折混じるオーバーアクションがまるで俺を子供扱いしている様で腹が立ったが文句は言わない事にした。
 今はKKから詳しい情報を入手する事が先決だ。
 KKの長い話が終わり、俺は頭の中で入手した情報を整理した。
 話の内容は到底直ぐに信じられる物ではなかったが、これだけ不可思議な事が起きているのだ。
 信じるしかない。

「じゃあ、ヒューが俺の前で交通事故にあったのは…俺がヒューと一緒にいたからなのか!?俺の所為、なのか…。」
「あーいや、どっちかって言うとそれはアッチのヒューの所為でお前が事故に巻き込まれんだと俺は思うけどな。まあなんにしろ3.4日も一緒にいればまた大きな事故に巻き込まれちまうってわけだ。」
「…そうか。」
「つーわけで、そうだな…期限は2日後の夕刻。分かったな?」

 たったの二日…それだけしか時間がないのか。
 当然そう簡単には納得できなかった。
 だがKKに仕事を依頼した時にはヒューに会えるとすら思っていなかったのだ。
 二日間という限られた日数でも感謝しなくてはならない…俺はKKに対してしぶしぶ小さく頷いた。

「その間この部屋は好きに使っていい。ビールは冷蔵庫に突っ込んである。外出は人通りが多い所や時間は出来るだけ避けろよ。あとは…何か俺に頼みたい事があったら電話しろ。」
「オッサン…。」
「あ?何だ。」
「妙に親切だな。」

 随分と俺達に協力的なKKに疑惑の目を向ける。
 何か企んでいるんじゃないか…そう思わずにはいられない。

「あー…まあ任務失敗したのは俺だからこれくらいはしてやらねえとな。安心しろ、悪戯しようなんて考えてねえよ。」
「そっか…ありがとうオッサン。」
「ん?お前こそ何か素直で気持ち悪いぞ。普段だったらもっと食い下がってくるのに。」
「なッ…!?わ、悪かったな。」

 素直という言葉が何か恥ずかしくて俺はKKから視線を思いっきり逸らした。
 …ヒューに出会えた事でまた俺の中で何か変わり始めているのかもしれない。
 ふとそんな事を思った。

「さてと…お前等がこの部屋使ってる間俺はどっかのホテルで豪遊でもしてるわ。偶にはそうゆうのもいいだろ。」
「ん…。部屋、ありがとうな。」
「気にすんな。どうせ近々引っ越しするつもりだったしついでに部屋探しでもするさ。じゃ、二日後の夕刻過ぎにまたココに戻る。ソレまでに何かあったら携帯に連絡しろ。」
「分かった。」
「アッチのヒューにヨロシクな。」

 そう言うとKKは俺の頭を大きな手でポンポンと軽く叩きソファから気だるそうに立ち上がった。
 あまりな扱いに思いっきり睨みつけたがその時にはKKは既に背を向けてドアを開けて出て行く所だった。
 KKの背中を見送った後、そのまま壁にかけられた時計へと視線を向けた。

「…もうこんな時間か。」

 時刻は既に深夜の1時を回っている。
 流石に一旦眠って明日に備えた方がいいろう。
 ヒューの居る寝室へ向かおうとしてソファから立ち上がった所でふと思い出した。
 そういば慌てて来た所為で風呂にも入っていなかった。
 寝る前に入っておこうと思いカバンから必要な物を取り出して浴室へと向かう。
 途中寝室を覗くとよほど疲れていたのだろうか、ヒューはすっかり寝入っているようだった。


 浴室を覗いて見ると湯は全自動で既にはってある状態だった。
 服を脱ぎ捨てて軽くシャワーを浴びると準備されていた風呂の中へと入った。

「はぁ…。」

 じんわりと染み入る湯の温かさに俺は気の抜けた息を吐き出した。
 アパートをでてからここまで数時間しか経っていない。
 しかしその間に起こったあまりにも激しい出来事に普段は殆ど動揺しない俺の精神も流石に参ってきているようだ。
 何か考えようとしても絵に描いた絡まった糸のように思考が止まってしまう。
 でも…それは今までとは違う心地のいい疲れ。

「……。」

 温かい湯の中じわじわと来る眠気を追い払い、そろそろ身体を洗おうかと湯船から出ようとしたその時。
 擦りガラス越しに人影が近づいてくるのに気がついて重くのしかかっていた眠気が一気に吹飛んだ。
 そして次の瞬間ドアが勢いよく開けられヒューが顔を覗かせた。

「リュウ!!」
「お、わあッ!な、ななな何!?」

 俺は殆ど出掛かっていた体を慌てて湯船に戻して再び肩まで湯に浸かった。
 大丈夫、多分、ギリギリ見られていない…。

「あ…いや、起きたらリュウが居なくなってたからどうしたのかなって不安に思って…。」
「み、見てのとおりだよ、風呂はいってたんだよ。」
「そっか。よかった…どっかいっちゃったのかと思った。」

 それだけ言って顔を引っ込めたヒューが何か思いついたのか再び顔を覗かせてくる。
 俺は湯船から出しかけた体を再び湯の中へ沈めた。

「な、何だヒュー?」
「背中流そうか?」
「…は?」
「親方が言ってたんだけどさ、男なら裸の付き合い!背中を流してこそ友情が生まれるっ!…て言ってたからさ。」

 そう言いながらヒューは靴下を脱いで裸足になると次はジーンズの裾を捲くりはじめた。
 そんないい加減な事をいうヤツの顔を見てやりたいと一瞬思ったが、多分俺がよく知っている親方と同じ顔をしているんだろう。
 確かに、あの顔ならそんな事言ってもおかしくないような気がする。
 俺は他人に素っ裸を見せた事なんて今まで一度も無かったし、実際見せるのも嫌だったので何とかしてヒューを追い払おうと思考をめぐらした。

「背中くらい自分で流せるからいいって。」
「自分で流したら意味ないだろ?遠慮するなって。」
「いや、いいよ。ほら、俺だけ裸なんて恥ずかしいし。」
「…あ!そっか…ゴメン気がつかなくて!」
「へ?」

 突然ヒューはTシャツの裾に手をかけいそいそと脱ぎ始めた。

「俺も脱ぐよ!俺もう風呂はいった後だから一緒に入らなくてもいいかなって思ったんだけど。…そうだよな、裸の付き合いなのに俺だけ着てるっておかしいもんな。」
「いや!いや!違うって!そうゆう意味じゃなくてさ!」

 ヒューまで脱いだら益々恥ずかしさ倍増だ。
 仕方ない…ここは俺が折れる事にした。

「分かった。背中流してもらう。だからヒューは服着たままでいいからさ…とりあえず脱衣所にあるタオルもってきてくれよ。腰に巻くから。」
「ん?腰にタオルを巻くのは銭湯じゃマナー違反って親方から聞いたけど?」
「ここは銭湯じゃないだろ!もう、とにかく何でもいいからタオル持ってこいって…。」

 俺はあまりの疲労感に浴槽のフチにぐったり身体を預けて項垂れた。
 ヒューってここまで天然だったっけ…?それとも俺を気遣って元気付けようとしているのか…。

「……。」

 多分その両方なんだろう。
 脱衣所で腰に巻くのに良さそうなタオルをせっせと探すヒューの背中をみてそう思った。

「リュウ、これでいい?」
「ああ。」

 暫くしてヒューが丁度良さそうな厚手のタオルを持ってきた。
 湯船の中で解けないよう慎重にタオルを腰に巻き、身体をちぢこませたまま湯船から出ると用意してあった小さな椅子に腰掛けた。
 そんな俺に対してヒューは「男同士なんだからそこまで恥ずかしがる事ないのに」と言って笑った。

「ヒューは慣れてるかもしれないけど…俺は恥ずかしいんだよ。」
「別にリュウは体格悪い方じゃないし、もっと自分に自信もっていいと思うんだけどなあ。」

 そうゆう問題じゃない…とは思っても口には出さず黙ってヒューに背中を向ける。
 すると待ってましたと言わんばかりにヒューは泡立てていたナイロンタオルで思いっきり俺の背をガシガシと洗い始めた。
 想像を絶する激痛に俺は思わず仰け反って叫んだ。

「うがあ…ッ!ちょ、痛ッ!痛いって!もっと優しくしてくれよ!」
「あれ?そんなに力入れてないんだけどな…俺自分洗う時はもっと力入れてるぞ。」
「ヒューと一緒にしないでくれよ。」

 涙目で振り返るとヒューは悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「ゴメンゴメン。俺と違ってリュウのお肌はデリケートなんだな。」
「悪かったな…しかしなんでオッサン家の風呂にはナイロンタオルしかないんだよ…。」

 これが違う素材だったらまだよかっただろうに。
 見回してみるとシャンプーもメントール臭のするスースーするのしかないし、身体を洗う石鹸も半壊していて何か怪しい。
 旅行用のシャンプーや石鹸一式を持ってきておいて本当よかった。

「なあ、こうやって背中流してもらうのって…もしかして初めてだったりする?」
「当然だろ。」
「そっか。じゃあまたリュウの初めてを俺が奪っちゃったな。」
「……ッ!」

 ヒューの問題発言に俺はむせ返りそうになった。

「ヒュー、お前その言い方はちょっと、男に対して言うには問題あると思うんだけど…。」
「…!…そっか、そ、それもそうだよな。」

 俺の指摘で漸く気がついたのか視界の隅に入るヒューの顔がみるみる赤くなっていくのが分かった。

「あ、ああ、明日はどうしようか?」
「ん…?そうだな、どうしようか。」

 照れ隠しなのか、ヒューが突然話題転換を持ちかけてきた。

「俺、このあたり土地勘ないし…リュウ、どこかオススメな場所とかあるか?」
「うーん、そうだな。」

 KKからは人通りの多いところへはあまり行くなと言われているし、実際避けた方がいいと俺も思う。
 不運なヒューと一緒にいるとまた以前のように不良に絡まれるかもしれない。
 人のあまりいない所でゆっくり出来そうな場所…思い悩んでいる内に一つだけ思い当たった。

「そうだ、ヒューに見せたい場所があるんだ。一緒に行こう。」
「え?どんな場所?」
「行けば分かるよ。そんな大した場所じゃないんだけど、缶ビール飲むにはいい場所。」
「そっか、それは楽しみだな…!」

 よほど嬉しかったのか缶ビールという言葉に反応してヒューの腕に力が篭った。
 そしてその日俺は二度目になるデカイ悲鳴を上げた。


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