普通のスーパーでは滅多にお目にかかれないラム肉やムール貝は流石に手に入らなかったが、大体の食材は調達できた。
 ついでにビールのつまみになりそうなものも一緒に購入してきた。
 足早にマンションへと戻りヒューのいるリビングへと足を運ぶ。
 そしてドアを開けた瞬間、テーブルの上に大量に放置されたビールの空き缶が視界に入り、俺は思わず一歩後ずさりしてしまった。
 丁度その時トイレから出てきたヒューが背後から声をかけてきた。

「あ、リュウお帰り!」
「ただいま。…随分飲んだんだな。」
「ああ、冷蔵庫にたっぷり食材が入るようにしておいたぞ。」

 キッチンへと向かい冷蔵庫を開けてみると、ヒューが言ったとおり随分とゆったりとしたスペースが出来ていた。
 食材を冷蔵庫にしまいながら缶ビールをクーラーボックスに詰め込む。
 全ての食材を冷蔵庫に詰め込み終わり、時計を見上げてみると時刻は既に正午を過ぎていた。
 もう出発してもいい頃だろう。

「そろそろ行こうか。」
「ああ、運転よろしく頼むよ。俺、今酔っ払いだからさ。」

 そう言うヒューの表情は普段と殆ど変わりなく、到底酔っ払いには見えなかった。
 とりあえず机の上の缶ビールだけは片付けて、KKの所有する駐車場へと二人で向かった。
 あまり人通りのない薄暗い路地裏にその駐車場はある。
 ぱっと見は普通のシャッター付きの駐車場だが、そう簡単には開かないようになっている。
 シャッター脇にあるコンソールを開いて特殊なカードを通し、手早く暗証番号を打ち込む。
 三つ目の暗証番号を入力し終わるとようやくシャッターが開き始めた。
 中から現れたのは漆黒を纏った威圧感のある車だ。

「…凄い、夜見た時は疲れててあまり気にならなかったけど、本当真っ黒な車なんだな。」

 その言葉からして、ヒューはKKと出会った後この車でここまでやって来たのだろう。
 ヒューの言葉どおりKKの仕事用の愛車は本当に真っ黒だ。
 ガラスは全てフルスモークで覆われており、更にタイヤのホイールまで黒い。
 透過率は基準よりも低いのは明らかで、多分普通に車検に回したら通らないだろう。

「細かい所にいろいろカスタマイズが見られるな…すごいな、誰が整備したんだろう。」
「ああ、俺だよ。」
「…へ?リュウが整備したのか?」

 そういえばヒューには俺は翻訳の仕事をしていると言っていたのをすっかり忘れていた。

「俺、今は翻訳の仕事じゃなくて整備士してるんだ。」
「そうだったんだ…!嬉しいな、リュウも今は俺と同じ整備士なんだ。」

 嬉しそうな表情を浮かべた直後、ヒューは突然表情を曇らせると訝しげな視線を俺に向けた。

「でもさ、このフルスモーク…ちょっと車検通らないんじゃないのか?」
「ああ、車検の時は剥がしてるよ。ほら、Kのオッサンの仕事柄、必要だからさ。」
「うーん、そっか。」

 それなら仕方が無いか、とヒューは小さくぼやいた。
 実は他にも沢山違法改造をしているのだが、そんな事ヒューには到底言えない。
 追及されなくてよかった…俺は胸の内で安堵の溜息を漏らすと運転席へと乗り込んだ。
 駐車場を出てあまり車の通りの多くない道を選んで進む。
 それでも時折渋滞に巻き込まれたが、このペースなら予定通り目的地に着くだろう。

「ン…。」

 順調なドライブだと思っていたのだが、途中から背後に見える車に違和感を覚えた。
 恐らく、つけられている…。
 バックミラーから見える車は俺達が乗っている車と同様にフルスモークに覆われていた。
 こんなフルスモークの車が二台も走っていたら目立ってしょうがない。
 俺は更に車の通りの少ない裏道を選んで走った。
 だが相手は追跡を諦めるどころか更にしつこくついてくる。
 あの"掃除屋"ことKKの車と分かってつけているのだ…ここまで執念深くつけて来るとは随分肝の据わったヤツだ。

「ヒュー。後ろの車のナンバープレート、見えるか?」
「え?…っと、暗くて分かりづらいけど、何とか見えるな。」
「俺の視力だとちょっと正確にはわかんないからさ、教えてくれないか?」
「ああ。」

 ヒューが読み上げたナンバーは聞き覚えのあるナンバーだった。
 当然偽造ナンバー。
 そして相手はKKの同業者ではなく、俺の同業者…つまり情報屋だ。
 多分俺達をKKと勘違いして後をつけているのだろう、ご苦労な事だ。
 だがこのままつけられるのも厄介だ、あとでKKに何を言われるか分からない。
 俺は相手に仕掛けてみる事にした。

「なあヒュー、俺が合図したらナビの下にあるボタン、押してくれないか?」
「ああ、これの事か?別にいいけれど…。」

 細い路地裏を曲がり、相手の車が後をつけて曲がってきた所で俺はアクセルを踏みつけた。

「よし、今だ!」
「うわぁ!」

 エンジンが唸り一気に加速する。
 ヒューが素っ頓狂な驚きの声をあげたが、それはスピードに驚いた所為ではなく背後でした爆音の所為だろう。
 俺の粗い運転に振り回されないようにシートベルトに掴まりながらヒューが半分怒鳴り声を上げた。

「リュウ!ちょ、さっきのって…!」
「ん、ああ。火炎放射と煙幕。」

 ヒューが押したボタンは起爆ボタンだ。
 以前俺がこの車を整備した際にマフラーにガソリンが流れ込んで火を吹く様に改造した物だ。
 ついでに煙幕もつけたのだが、KKはそんなのは子供のおもちゃだと一笑に伏した。
 そしてその後くだらない物をつけるなとさんざん説教を喰らった。
 KKのいう通り、火炎放射なんて威嚇くらいにしかならないだろう…まあマシュマロを焼くのには丁度いいかもしれない。
 実際どちらも遊び半分につけたものだったが、こうやって役立ったのだし俺の改造もムダにはならずにすんで結果的にはよかった。
 バックミラー越しに背後を見てみると煙幕は既に途切れていたが、そこに後をつけてくる車の姿は無かった。

「上手く撒けたな…。あ〜でもオッサンには目立つ事するなって言われてたのに目立っちまったかな。」
「それよりもリュウ!煙幕に火炎放射なんて違法改造じゃないのか!?」
「この車だけだよ。そもそもKのオッサンの存在そのものが違法だっての。」
「フルスモークな上にこんな改造して…あ、車検はどうしてるんだ!?」


 その質問に対して俺は今朝ヒューがしたように、ただ笑って誤魔化した。
 金でどうにかしてると言ったら真摯に整備という仕事をしているヒューに殴られそうな気がしたからだ。
 ヒューは腑に落ちない顔をしていたが、それ以上俺を問い詰める事はなかった。





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