朝6時、俺はヒューよりも少し早く起きて朝食の準備に取り掛かった。
 シチューを温めながら冷蔵庫から次々食材を出し、新しいメニューを作っていく。
 ヒューを起こす時間になった頃にはかなりの量の料理が出来上がった。
 テーブルの上には昨日下準備しておいたシーフードチャウダーの他にスコーンやマッシュポテトの揚げ物、パンとチーズをオーブンで焼いた物やサラダ、ヨーグルト等大量の料理が並んだ。
 もうヒューには今日しか料理を作ってやれない…そう思って作った所為か、二人で食べるには少々多すぎる量になってしまった。
 ちょっと計画が甘かったかもしれない。
 俺は寝室へと足を運び、ぐっすり寝込んでいるヒューを昨日と同じように揺さぶり起こした。

「ヒュー、起きろ。朝ご飯できたぞ。」
「ん…あ、リュウおはよう…。ん〜、なんか、イイ匂いがするな。」
「ああ、はりきって作ったからな。ヒューの口にあうといいんだけど…。」

 まだ眠そうなヒューの腕を引っ張り起こし、キッチンへと連れて行く。
 キッチンにつくとそれまで眠気で半分しか開いていなかったヒューの目が大きく見開かれた。
 どうやらテーブルに並んだ朝食のあまりの豪勢さにかなり驚いたようだ。

「わあ…!すごいな。」
「うーん、ちょっと気合入れて作りすぎちゃったな。まあ余ったら昼にでも食べよう。」
「うん、こんな美味しそうな料理なら、いつだって歓迎だよ。」

 ヒューはテーブルにつくと料理を見渡して俺に微笑みかけてきた。
 「いただきます」を二人でしてからスプーンを手にとる。
 作った朝食がヒューの口に合うかどうかちょっと心配だったので、とりあえずヒューが料理を口に運ぶまで俺は自分の料理には手をつけず様子を伺った。
 俺がこっそり見守る中、一口スープを口に含むとヒューは一つ息を吐き感嘆の声を漏らした。

「…美味しい。」
「よかった。まずいとか言われたらどうしようかと思った。」

 ヒューの口にあって本当よかった。
 やっと安心できたので俺も自分が作った朝食を口へと運んだ。
 ヒューは早々に一杯目のシチューを平らげるとスコーンに手をのばしながら俺に話し掛けてきた。

「リュウ、本当に料理が上手いんだな。俺のトコはもっと酒臭くてキッツい味がするスープなんだけどさ…でも、やっぱり懐かしい味がするなあ。」
「そうか?結構適当に作ってたりするんだけどな。」
「凄く美味しいよ!やっぱり故郷にいる時にお母さんに教えてもらったりしたのか?」

 ヒューの問い掛けに俺は一瞬口をつぐみ、そして正直に本当のことを話した。

「いや、教えてもらった事は一度もないよ。母親が作っているのを見て何となく覚えていたから、あとは味見しながら自分なりにレシピを考えたんだ。」
「え?そうなのか!?じゃあこんな風に、手料理を家族に作ってあげたりとかは…した事ないのか?」
「ああ。一度もない。」

 そう答えるとヒューは酷く残念そうに俯いた。

「勿体無いなあ、折角こんなに美味しく作れるのに…。家族の皆に作ってあげたらきっと喜ぶと思うんだけど。」
「…そうかな。」
「俺なら喜ぶよ!ウチの妹は滅多に作ってくれないんだけどさ、やっぱ作ってくれると嬉しいもんなあ。」
「そっか…。」

 会話すら殆どしないのに、母親の代わりに料理を作るなんて事は俺にとってはありえない事だった。
 ヒューは食事の手を休めると黙り込んだ俺へと問い掛けてきた。

「リュウはさ…故郷の事、好きなんだろう?」
「ん…よくわからない。嫌いでは、ないと思うけど…。」

 ヒューの問い掛けに俺は改めて故郷の事を思い浮かべた。
 何となく居心地が悪くなって故郷を飛び出したというのは事実だ。
 けれど、嫌悪感とか憎悪とか、そうゆうものを抱いていない事もまた事実だ。
 曖昧な返答をしたまま再び黙り込んでしまった俺にヒューは真剣な面持ちで言葉を投げかけた。

「だったらさ、やっぱり一度は家に帰るべきだと思うな。」
「…え?」
「確かリュウは家を飛び出したきり全然連絡とってないって言ってたよな。きっと皆待ってると思うぞ。…っていっても、やっぱり遠いからそうそう簡単には帰れないよなあ。俺も一年に一度は帰りたいんだけど、お金がなくてなかなか帰れないし。あ、そうだ!」

 ヒューは声をあげると手に持っていたフォークで俺を指差した。

「帰れないならさ、せめて電話だけでもしてみたらどうだ?きっと喜ぶと思う。リュウからの連絡、待ってると思うよ。」
「…今更、俺の事なんて何とも思ってないさ。家族の会話に入る事も全然なかったし、居ても居なくても変わんないような奴だったからな…。」

 そんな投げ遣りな答えを返した俺を、ヒューは厳しい表情でたしなめた。

「血を分けた大切な家族だろう?居ても居なくても変わらないなんて事ない。」
「…。」
「本当に会えなくなってしまう前に、会いに行った方がいい。」

 切なげな表情で言うヒューに対して俺はそれ以上何も反論できなくなってしまった。
 大切な人を目の前で事故で亡くしてしまったヒューの言葉はとても重く、俺の胸に深く突き刺さった。
 確かに俺の心の奥底には、家族を蔑ろにしている事に対して後ろめたい気持ちがずっとある。
 けれど時間が経てば経つほど連絡は取りづらくなってしまい、結局今まで何もせずズルズルと過ごしてきてしまった。
 そのうち会いに行けばいい、別に焦る必要なんてない…そんな悠長な考えしか俺は持っていなかった。
 でも、いつまでも家族が、自分がこうやって生きていられる保障なんてどこにもないんだ。
 失ってしまったら、恩を返す事も出来ない、料理を作ってあげる事だって、喧嘩をする事だって嫌いになる事だって出来なくなる。

「……。」

 本当に、何も出来なくなってしまうんだ…。
 そう思うと、急に俺の胸の内に焦りが生まれた。
 このままでいいのか?いや、こんな中途半端な状態でいいわけがない…。
 そんな思いが今更になってようやく頭をもたげてきた。
 そして暫くの沈黙の後、じっとこちらを見守るヒューを俺は正面から見つめ返した。

「俺は家族に沢山迷惑もかけたし、蔑ろにしてきたと思う…。もう今更家族にあわせる顔なんてないって卑屈に思ってた。でも、蔑ろにしてきたからこそ、ちゃんと会わないとダメだよな。」
「リュウ…。」
「流石にすぐには無理だけどさ、ちゃんと家族に会いにいくよ。…ありがとう、ヒュー。」
「そっか…うん、その方がリュウの為にもなると思う。」

 ヒューは安堵の息を吐き出すと、まるで自分の事のように喜びの表情を浮かべた。

「…なんか安心したらおなか空いてきたな、おかわりしてもいいか?」
「ああ、ちょっと待っててくれ。よそってくるよ。」

 空になった皿をヒューから受け取り、俺はシチューをよそいに行った。
 結局その後ヒューは更に二杯のシチューをおかわりし、テーブルの上にあった料理も殆どを平らげてしまった。
 細い人間ほどよく食うと聞いた事があるが、ヒューもその類に当てはまるようだ。
 随分キレイに片付いたテーブルの上を見回して、俺はヒューに感嘆の声を漏らした。

「ヒューって見かけによらず凄い食べるんだな…。なあ、普段からこんなに食べるのか?」
「いや、普段はあまり食べないよ。というか、食費にあまりお金が回せなくて食べたくても食べれないというか…。だからさ、こう食べれる時に沢山食いだめしておかないとな!」

 予想もしなかったヒューの返答に俺は目を丸くした。
 どうやらヒューの大食いは少ない食費をカバーする為に否応がなしに身についたもののようだ。
 先刻、ヒューはお金がなくてなかなか実家に帰れないと言っていた。
 多分一番節約しやすい食費を極限まで削って、実家に帰るためのお金を少しずつ貯めているんだろう。
 家族を、故郷を大事に思うヒューの気持ちが痛い程伝わってきて、俺は目を細めた。

「ヒューは、やっぱ凄いな…。」
「え?そうかな、まあ確かに食べる時は凄い食べるから、結構驚かれるけど。」

 そう言って微笑むヒューに釣られて俺も微笑んだ。

― ヒューにまた会えて、本当によかった。

 もしもKKに依頼したとおり、ヒューとの再会を拒絶していたら俺は一生後悔していたに違いない。
 そうだ…後悔しない為にも、ちゃんと家族に会いに行こう。
 ヒューのおかげで俺の胸の内にまた一つ新たな決意が生まれた。


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