数日後、俺は現金を用意してヒューの勤めている整備場へと向かった。
 普通の給与袋には到底入りきらない金額で、でかい鞄に無造作に札束をぶち込んできた。
 最初はヒューの奴をからかうつもりでツケを溜め込んでいたが、実際に現金として持ってみるとシャレにならない量だ。
 ずっしりと重みを感じる鞄に俺は苦笑した。
 大通りを曲がり少し細い道へ入ると整備場のシャッターを開けるヒゲ親父の姿が目に入った。
 軽く手を上げて挨拶をする。

「こんちは、ヒューのヤツっていますか?」
「ヒューならココを辞めて故郷へ帰ったぞ。丁度今日出国だったかな。何でも妹のキャロちゃんが国に帰るらしくて、一緒に行くってよ。」
「………はぁ!?」

 まったく予期しなかったヒゲ親父の返答に、俺は思わず間抜けな声をあげた。

「ああそうだ。お前さんにはヒューから手紙を預かってるよ、ホラ。」
「…どうも。」

 ヒゲ親父から一つの洋封筒を受け取ると中から手紙を取り出した。
 文面は普段の口調と変わらず粗暴だが、字は外国人が書いたとは思えないほど美しく、丁寧な楷書だ。

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KKへ

ヒューにも出会えたし、もうアンタの言う「コッチの世界」って場所にも足を踏み入れる必要が無くなった。
丁度妹も国に帰るって言うし、今まで蔑ろにしていたモノを見つめ直す為にも俺も一度故郷へ帰ろうかと思ってる。
その後は…あまりしっかりとは考えてないが、一人で海外を転々と回ってみようと思う。
アンタに言わせれば、これは海外逃亡って事になるのかな?

黙って日本を出て行ていくのは、ちょっとは悪いと思ってる。
でもアンタに言ったら口止めの為に殺されるかな、と思ったから…というのは冗談だけど。
正直な所、面と向かってちゃんと言える自信が無かったってとこだな。

KKには感謝してる。
アンタがあの時、もしも俺の依頼通りにヒューの生存確認だけを俺に報告していたら、俺は一生自分を見失ったままだったと思う。
そしてそのまま、アンタのいる世界に深く嵌っていって自滅していっただろう。
ヒューにまた出会えたからこそ、俺は俺自身を見つける事がようやく出来たんだ。
アンタが気を使ってくれたお陰だ、ありがとう。

感謝の気持ちって事でツケはチャラにしておいてやるよ。
じゃあな。

Hugh.
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 乱暴に書かれたサインで締めくくられた手紙に思わず溜息をつく。

「あんのバカ…。自分だけ言いたい事言って出て行きやがって。……って、はぁ!?」

 手紙の下の方に書かれていた追伸の内容に、俺はヒゲ親父が傍にいるにも関わらず素っ頓狂な声をあげてしまった。

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追伸。

そういやオッサン、新しい引っ越し先を探してるって言ってたよな。
俺の借りてたアパートをアンタが引き継いで借りるように手続きしておいた。
大家さんによろしく。
俺がまた日本に来るまでちゃんと借りてろよ、途中でくたばったら承知しねえからな。
あと、あまり部屋を散らかすなよ。
それじゃ。
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「…アイツ。」

 最後に書かれた言葉、それは再びいつかヒューがこの日本へ戻ってくるという意味でもあった。
 勝手に俺がアパートを借りる事にされたのには腹が立ったが、何故かその言葉に俺は安堵を覚えた。
 帰ってきた暁には、再び盛大に虐めてやろう。

「ったく、折角腕のイイ整備士を見つけたってのにな。あ〜…アイツが帰って来るまでどうしたもんか。」
「ん?ヒューが随分世話になってたみたいだし、俺がヒューの代わりに整備してやるぞ。」
「あ!いやいや、大丈夫です、他に探すんで。」

 隣で様子を伺っていたヒゲ親父がにこやかに声をかけてきた。
 壊れたプリンターならまだしも、物騒なモノを整備させるわけにはいかない。
 だが丁重にお断りした俺を豪胆に笑い飛ばすと、ヒゲ親父は腕組みをしてニヤリと笑いかけてきた。

「遠慮するな、お前のトコのGさんとは旧知の仲だ、気兼ねする必要はないぞ。」
「…はぁ!?」

 俺は今日3度目になる間抜けな声をあげた。

「まあもっとも、その事はヒューも知らなかったみたいだがな。こっそりフォローしてやってた事もあるんだぞ。」

 「ヒゲ同士仲良くやろうや」と言いながら親しげに肩に手を乗せてくるヒゲ親父に対して俺は引きつった笑いを返した。
 どうも以前からこのヒゲ親父は苦手だったのだが、その理由が少しわかったような気がした。
 ヒューが帰ってくるまでの間、色んな意味で苦労しそうだ。

「はぁ…。」

 溜息をつきながら空を仰ぎ見ると、丁度遥か上空を飛行機が飛んでいくところだった。
 もしかしたらあの飛行機にヒューの奴が乗っているのかもしれない…。
 そんな事を思いながら、俺は一刻も早いヒューの帰りを切望した。



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